半年余り休息していた田園の一面に水が張られ、田植えが始まろうとしている。
昭和20、30年代、田植えと言えば、村の人々が集まり、総出で各家の田植えを行う共同作業であった。
当時、耕運機など無く、耕す時には、牛馬までも手伝ってもらったものだ。
今やあらゆる機械が有り、牛馬、そして人手さえ、昔程必要なさそうだ。
だが、以前は、村人全員が田植えから収穫までの共同作業で絆が生まれ、
日本はどの国よりも情愛の濃い国であった様な気がする。
機械化が進んだ事は、人間関係が希薄になった原因のひとつでなかろうか。
ところで、その田植えに幼稚園児達がやってきた!!
幼稚園の理事長の発案で、農業委員会、そして観光協会の協力により、
園児達の田植え体験遠足が行われたのだ。
初めのうち、水田に入る事をためらっていた園児達も、
農家の方々の指導のもと、すぐに慣れた様子で大賑わいであった。
そして、お米が出来るまでには八十八の手間がかかるという話に聞き入り、
その真剣な眼差しは天女にも優る園児達の姿・・・
企画された理事長の奥深い教育、そして農家の方々の農業に関わる大切さ、
更に観光協会が町の活性化に取り組んだこのイベントの中に弊社がいた事を少し自慢(エッヘン)デース!!
だが、何より驚いたのはカエルや小鳥達であっただろう。
日頃、閑静な田園に、突然、園児達の元気な声が響き、びっくりしていたようだ!
やがて田植えが終わる頃、来た時よりも少し大人になった園児達に
“また、秋に稲刈りに来てネ”と歌っているかの様に
カエルや小鳥達の鳴き声が始まり、まるで大合唱団。
園児達も生涯忘れえぬ1日となったであろう。
しかし、また爺は反省させられた・・・
毎年の田植え時、“腹が痛い”“頭が痛い”と言っては逃げ回っていた幼少期・・・
(爺にも子供時代有りました)
異端爺より